水平線に手が届く

鴻巣市のいじめ事件記録【誰かが被害を繰り返さない為に】

【鴻巣市いじめ事件の記録No.17】

スキー林間によって決定的に学校側の欺瞞に耐えられなくなった私と息子は、転校という最後の選択を手にするかありませんでした。転校希望のFAXを送った後、私と教頭は次の会話を交わしました。

 

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私:今まで楽しみにしていたけど、1月26日のスキー林間にはもう行ける状態にないって言いました。(1月23日の教頭との会話)そこを説得してもらえませんかと教頭先生から言われて、スキー林間に行く前に皆の前で説明文を読むって言われたから、それが行われれば良いと思った。すぐに結論が出ないから、1月25日、私は仕事なので午後6時以降に電話を頂けるという話でしたよね。土曜日で学校が休みだから。

教頭:はい。学年主任の方から。

私:時間通りに電話が掛かって来た。~の意志は固い(スキ一林間に行けない)みたいですと言っただけで、突然電話が切れてしまって。またすぐに電話が来て「すみません外に出ているもので切れてしまって。学校としては準備をして整えていますので」でそこまで電話が突然切れて。それでもう話が終わってしまった。私はもう、こんな風に重要なことを話すのに電波の状態悪くて、なおかつ非通知でかけられてしまっているから、こちらからは電話かけられないし。担任の連絡先しか知らないから担任に連絡したけど、折り返しの連絡がなかった。学校はこういうことをする。本当に~のことを考えていないんだなと判断したんです。そうやって学校からいい加減な対応されたから、もう諦めました。

教頭:はい。

私:1月24日に教頭先生はスキーの後にクラス替えて、学校に行って2学期の分の成績のことを3学期に見て考慮していただけると言ったじゃないですか。

教頭:補習授業もさせて頂きたいと思っておりました。

私:だけど、そうやって学年主任がそういう対応するから、結局うちは学校に行けていない状態です。その後「転校します」と学校にFAXして、そこから今日まで学校から何の連絡もない。それまで学校から補習するとか、何の話もないじゃないですかそれっきりで。

教頭:もう過ぎてしまったことなので。本当にとにかくなかなか、とにかく、私はずっと

言って来たことは、なかなか3人を別クラスにする対応とか、今すぐに出来る状況ではな

いということで…

私:今すぐではなく、もう5ヶ月も経った。

教頭:別室でも良いので登校して頂ければ。

私:息子がそれを望んでいなかった。皆と一緒に…

教頭:学校としては【常にその姿勢(息子が別室)】でした。

 

(※補足:以前の記事までにしっかり経緯を記していた通り、学校側は「①加害児童のクラス替えをする→やっぱりしない、②加害児童の別室対応をして、そのまま進級まで彼らをクラスに戻さない→やっぱりしない、③加害児童の別室対応を2週間だけして、その後はクラスに戻す→やっぱりしない」といった具合に、加害児童保護者、鴻巣市教育委員会、第三者教育委員会と連携を取りながら、【常に】一方的に、復学の決定事項を反故し続けて来ました。教頭も嘘の作り話さえ交えながら私たちを翻弄しました。)

 

私:「常に」「その姿勢だった」というのはおかしい。みんな部活をやって、クラスメイトと…

教頭:(話をさえぎって)もうお母さん、すみません、いつもお時間が長くなってしまうので。今までもずっと色々なお話をさせて頂いているので。

私:だけど、貴方達にとっては過去の話かもしれないけど、息子は傷ついているんです。学校の対応についても。

教頭:もちろん、それはもう…なかなかお母様の納得頂けるようなことにはならないと思うので。

私:何を言っているんですか?今になって。

教頭:我々は精一杯対応しています。

私:精一杯対応すると言ったって、弁護士も交渉失敗している。

教頭:私達の精一杯がお母様の方で納得して頂けてないってことです。

私:学校に行かせてもらえないのに納得できますか?

教頭:なので、もう成績の件なんですけど、○○中学校(転校先)の教頭と連絡を取ります。ただ、今まで私は本当に~君のためにと思って私なりに対応させて頂きました。

 

(※補足:この発言もよく平然と言えるものだと感心します。最終的にスキー林間参加の話が流れ、学校から連絡がなく、転校する以外に方法がなくなり、私は自ら他の中学校に相談しに行き、転校先を決めています。この教頭を始めとして、学校側が行った「息子のために~」の行動は皆無です。)

 

私:よく言いますね。何一つ、何もしてもらなかった。転校するってどれだけリスクがあると思いますか?電車通学になります。色々買い替えなければいけない。環境が変わるし学校はそんなことは何とも思わないでしょ?「精一杯やった」って、そんなこと言わないで下さい。

教頭:お母さんと話してもお答えが出ません。本当に~君のことを…ね…

私:心にもないことをいわないでください。

教頭:そうとしか言えません。

私:3人はどうなっているんですか?

教頭:本当の話とズレているので…

私:息子はこう言っています。「ぼくはずっといじめられていて、学校はいじめっ

子の味方なんだね。ぼくは学校に行きたくても行かせてもらえなかった。校長先生に「体育祭の時、いじめられていたと言ったけれど、なんで校長先生はいじめはありませんでしたって言っているんだろう」っていつも言っています。息子を学校に来させないようにして、3人に対して対応していないし、最悪の結末です。いじめられて転校するんですから。

教頭:おっしゃる通りですね。

私:こちらはずっと代理人通して学校に行けるように言っていました。それを学校が阻止していた。最後の最後のスキー教室のことも。転校先の教頭に、〇〇中(現在の中学校)は何もしてくれなかったと話した。こちらから言わないとプリントももらえない、授業のことや、今ここをやっているとか、実技成績ついていないからどうしますかとか、一切ない。

教頭:何日に転出されるんですか?

私:まだ〇〇中在籍ですよ。これからですよ。転校先の教頭先生が、「お母さんの心配事は成績の事だと思うので、どうしますか、テストのこともあるから」と言ってくださいました。2学期の成績がついていないから、3学期来ればカバーできるってあなたが言ったじじゃないですか?そのことを転校先の教頭先生にいったら、「〇〇中で成績をつけてもらって、その後、こちらの学校に来ればスッキリするのでは?」と言ってくれました。(転校先では今までの情報がないため、成績が付けられない。)

教頭:本校で学年末テスト受けるんですか?

私:え?!今現在、〇〇中在籍ですよ。

教頭:じゃあ「別室」に来て下さい。

私:何で「別室」なんですか?何でいじめっ子はクラスにいるんですか?

教頭:学年末テスト、じゃあ、どうされますか?

私:どうされますか?って何でそんなに「息子は学校に来ていないけど、学校はテストをやってあげますよ」っていう言い方なんですか?こちらは学校に行く意志があったのに、学校はそれを阻止したんでしょ?

教頭:お母さん、同じことのずーっと繰り返しになってしまうので。

私:学校がやらなかったから。

教頭:学年末テストを転校先で受けるかはご判断お願いします。

私:だから言っているでしょ?転校先で受けるよりも、2学期の成績のついていない教科を〇〇中で補ってもらいたいんです。言っている意味分かりますか?

教頭:何を補うんですか?!(怒声)どのようにすれば良いんですか?!(怒声)

私:だから、成績のついていない教科の評価をつけて下さいと言っているんです。2学期空欄になっている。3学期学校に行けていればカバーできると教頭先生が言ったじゃないですか。(12月23日会話)

教頭:はい。

私:1月になっても学校が行ける状況を作らなかったですよね。ただ、2学期の成績をつけてもらいたい。

教頭:空欄の成績をつければいいってことですか?

私:つければいいって、そんな簡単につけられるのか?

教頭:「1」になる。考慮して空欄にしている。冬休みの確認テストもありました。

冬休みの宿題もお届けしたと思います。その確認テストなんですよ。

私:冬休みの宿題が出来ていないんです。分からないって言っているんです。授業受けていないから。

教頭:まぁ…ね…

私:今までずっと宅急便使ってでも、ワークとか提出物を出していた。冬休みの宿題が来ても、2学期の授業受けていないから分からないと言って提出できなかった。そのテストをやるというのは授業を受けていないから、テストを受けられないのでは?

教頭:分からない所は「別室」で対応すると言って来ました。

私:だから「別室」は嫌だと言って来ました。何でうちがクラスに戻れないのですか?

教頭:~君が来られないっていうのが…

私:来られないのではなく、クラスに戻してもらえないから、行けなかったんです。

教頭:もう勘弁して下さい。どうしようもない状態ですよね?正直。

私:何がどうしようもないんですか?

教頭:~君が学校に来られないから。

私:~は「3人が恐くて学校に行けない」と言っているんです。

教頭:スキー教室の話もなしになった。結局そうなってしまうので。

私:貴方達がそう仕向けているんでしょ?

教頭:おっしゃる通りです。

私:おっしゃる通りなのね。分かりました。

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鴻巣市教育委員会のF氏と同じ堂々巡りの会話で、すぐに論点をずらしたり誤魔化したりといった不誠実な回答がなされるので、私は懸命に相手の言葉を理解しようと努めなければなりませんでした。話が通じず、その為に延々と長引き、しかも最後までお茶を濁されるので欲しい回答が得られません。

 

このように話がまったく通じない状態でしたが、何とか私たちは3学期テストを受けることができました。それは転校先の教頭先生が私たちの窮状を心から慮ってくださり、手配をしていただいたからです。そちらの転校先の教頭先生が現中学校の現中学の教頭に直接会い、テストの手配に関する話をしてくださったお蔭で、息子はテストを受けることができました。

 

実技が必要な美術については、皆が1ヶ月かけて作る作品を1日で造らされました。学校側は「取り敢えず成績をつけた」といった感がありました。成績表は欠席日数含め散々たるものでした。

 

転出日は3学期終業式の日となりました。息子と一緒に成績表と荷物を取りに学校に行きました。事前に行く時間を決め、その時間に行くと教頭と学年主任が対応し、学校の中ではなく、部活の道具が収納されている学校の横のプレハブの小屋に案内されました。(校長と顧問兼担任は姿を現しませんでした。)

 

学校に行く前に息子が、転校の挨拶を3人以外にはしたい、会いたい友達がいると言ったので、そのまま私から教頭に話すと、「今コロナで、成績表をもらって帰るだけだから、【それどころではない】」と言われました。

 

私はこの言葉を聞いて、この学校を出られて本当に良かったと思いました。当時のその気持ちを、今でもはっきりと覚えています。

 

その一方、加害児童3人とその保護者を含め、「やっと転校して学校を出てくれたか」と胸をなでおろした人もいたのではないでしょうか。彼らは「転校しろ」とは言いませんでしたが、今考えれば自らそう選択するように仕向けていた気配すらあります。

 

その状況を裏付けるような、ひとつの不可思議な事実もあります。鴻巣市教育委員会の資料にあれだけ執拗に登場していた加害児童保護者の存在が、3学期に入った段階から資料に出て来ていないのです。本当に不思議なぐらい、一切彼らの記述がありません。それは息子をクラスから追い出すこと(息子のクラス替え、または転校)が彼らの目的であったので、学校関係者が目論見通りにその方向へ進んでくれたので、安堵したのだとしか思えません。

 

そもそも、息子の転校が決まった段階から鴻巣市教育委員会は記録をほとんど行っていません。鴻巣市教育委員会の資料は、加害児童保護者に関する記述は1月15日まで、その後の学校対応なども1月17日で区切られています。不登校から転校までの一部始終、スキー後や期末テスト、転出のことなど、何ひとつの記録もありません。「どうせもう学校から消える人間なので書く必要はない」「いじめ事件との関連性はない」という判断なのでしょう。しかし、転校はいじめ事件を発端として生じた学校側の不手際等による最悪の結末であり、その結末までを詳密に記さないと報告書としての意味がありません。その責務を、報告書は完全に怠っているのです。

 

とにかく、私と息子は新しい一歩を踏み出しました。2020年4月から、息子は新しい中学校の2年生として、学校に通い始めました。通学の距離があったので、毎日心配するくらいならいっそ引っ越そうと思い立ち(私は泥にまみれた人間関係からようやく脱して、転校先の教頭先生のような誠実な方ともお会いできたので、ようやく少し前向きな気持ちになっていました)、4月に引っ越しを行いました。

 

ただ、生活面ではかなり大きな負担があったのは事実です。引っ越し前の賃貸住居については3月に更新料を払ったばかりでした。前中学の指定ジャージやサブバッグなども、結局いじめと不登校により実質半年しか使わず捨てる事になり、転校先の新しい物を買い揃えました。

 

こうした転校と家探し、引っ越しなどの奔走による時間的・経済的な負担は少なからぬものでした。息子が節約したいと言ってくれて、通学バッグだけは先生の許可を得て、そのまま使いました。息子にお金の面で気を遣わせてしまったことが申し訳ないと感じました。

 

4月早々、新しい中学校の担任の先生からお手紙をいただきました。想いのこもった、教育者らしい、温かなお手紙でした。そして、その中に「新しい学年でやりたいこと」を書く紙が入っていました。担任の先生はお手紙の中で、「明日、他の子と一緒に発表しよう!」と書いてくださっていました。

 

息子はその新学期の抱負を書く紙に、次の言葉を書きました。

 

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僕は2年生になって、1年生の時に出来なかったことをやりたいと思います。

サッカー部に入って大会で勝ち進むように、努力したいです。

体力作りや先輩にいろいろ教えてもらって上達したいです。

勉強は予習、復習をしっかりやって成績を上げたいです。

1年生に優しくしてあげたいです。

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これに先生は花丸をくれました。息子が嬉しそうにこの紙を持ち帰ってきた様子が思い出されます。

 

部活は本人の希望通り、サッカー部に入りました。顧問の先生はすぐに新1年生と一緒にユニフォームと練習着を息子に用意してくれました。2年生と同じ練習着がないのとのことで、わざわざ似たような色の練習着をネットで探してくださって、これはどうですかと丁寧に聞いて下さいました。ありがたい気持ちでいっぱいでした。

 

校長先生も、うちの三者面談の帰りを見計らって話しかけて下さり、息子の様子を気にかけてくださいました。息子の転校に多分なご配慮をくださった教頭先生、学年主任の先生、2年、3年の担任の先生、サッカー部の顧問の先生、各教科の先生──全員が息子に寄り添ってくださいました。〇〇中とは天と地ほどの差がありました。陽だまりのような温情に満ちた学校でした。

 

息子はこの新しい学校に転校してから、2年間で1日しか休みませんでした。もちろん、いじめもひとつも受けませんでした。自学のページ枚数についても、毎学期3位以内に入っていました。これは不登校の間、家での学習が当たり前になっていたことが実を結んだものと思います。

 

新しい学校では、先生、友達のおかげで、毎日楽しく通うことができたのです。

 

この転校後、まるでそれを待っていたかのように、鴻巣市教育委員会の"いじめ調査報告書"が完成しました。私たちがその内容を目にした時、ただ愕然とするしかありませんでした。この調査報告書は、被害者側の私たちに途中の経過報告と確定前の確認作業が一切ない、国の指針と法的規範に反して不正に作成された報告書だったのです。(これまでの記事でも折に触れてきましたが、その内容は学校側に都合の良いものばかりだったのです。)

 

また、息子がいじめによる不登校、そして最後は転校という結末に至った後も、加害児童3人の保護者たちからは一切の連絡がありませんでした。

 

不正行為を犯し続けて最後に嘘まみれの"いじめ報告書"を突き付けて来た鴻巣市教育委員会と、「これで何もかも終わった」と胸を撫でおろしていたであろう加害児童3人とその保護者に対し、私は訴訟を起こしたのです。

 

私たちのような被害者を出してはいけない。

その覚悟と義憤の強い想いを持っています。

 

次の記事では、まず嘘にまみれた"いじめ調査報告書"について詳しく書いていかせていただこうと思います。

 

(次回へ続く)