水平線に手が届く

鴻巣市のいじめ事件記録【誰かが被害を繰り返さない為に】

【鴻巣市のいじめ事件記録簿 No.21】

これまでの経緯をまとめます。

 

------------------------

(1)2019年8月29日、中学1年生2学期の始業式、息子がCからのいじめを私に告白

(2)学校に相談をすると、校長が「1学期もいじめがあり、解決した。4クラス4つの目がある。〜(息子)がチクったとわからないようにCに注意する」と言った

(3)学校が適切に対処をせず、いじめがエスカレートしていた

(4)2019年10月1日、息子が「Cから継続していじめられている」「実はAとBからもいじめられている。」「Aからは小学校から継続していじめられている」「我慢の限界」と告白

(5)息子が不登校状態に陥ったが、やはり中学校は実質的に放置状態

(6)どうしようもなく警察への相談や弁護士への依頼

(7)中学校が復学の為の措置を決定するも、3度すべて実行されず(加害児童3名の保護者側による重圧もあり)

(8)鴻巣市教育委員会がいじめ重大事態調査の為の第三者調査委員を設立するも、第三者調査委員は教育委員会側の人間であり、明らかに不公平、不鮮明な調査を実行

(9)鴻巣市教育委員会が国家ガイドラインに違反し(経過報告・完成報告・議事録すべて無く被害者側が訂正を行えないまま)、一方的にいじめ調査報告書を作成

(10)市長、鴻巣市教育員会、第三者教育委員会、中学校、加害児童保護者らが一枚岩となり加害側に有利な結論を捻出、被害者側の再調査や内容訂正の訴えを全て無視

(11)2021年10月に加害生徒3名、12月に鴻巣市、中学校を提訴

(12)2023年6月に鴻巣市教育委員会の不正行為がメディア(東京新聞)に露呈、西尾市議による鴻巣市議会での質疑に発展

(13)これまでの経緯をブログにまとめ、裁判を継続

------------------------

 

ここに補足しますと、私がまだ裁判をしていない11番の段階で、私が鴻巣市に質問をした内容について、市側は加害児童3名の保護者側の弁護士にその件を連絡しているという事実が発覚しています。前の記事でも触れましたが、いじめ調査報告書についても、「加害者側にどこまで話すか」について被害者側がその範囲の決定を下す権限があるにも関わらず、鴻巣市教育委員会、学校はその権限を無視し、私たちが知らないうちに加害側に全ての内容を通知しています。

 

併せて、ここまでに至る教育関係者側の加害児童に関するそれぞれの見解についてもまとめます。

 

------------------------

【小学校・担任】息子がAに何かされて気が付く度に、Aに注意をしていた

【小学校・教頭】Aが息子に手を出してニヤニヤして気持ち悪いと言ったり、悪口を言ったりしたことを把握している。

【小学校・校長】息子が色々とちょっかい出されたり、嫌な思いをすることがあるんで、学級編成の時十分気をつけて下さいと〜校長(中学校校長)に申し送りをした。

【中学校・担任】手を出してしまったり、嫌な言葉を言ってしまったことを、彼ら(A・B・C)は非常に反省をしている

【中学校・教頭】3人(A・B・C)はいじめを認めていたが、彼らの保護者が来てから考えが変わってしまったようだ

【中学校・校長】(警察に対し)3人は初めは謝りたいと言っていた。彼らの保護者との関わりで謝罪の場がなくなってしまった。

【中学校・新教頭】いじめ重大事態調査報告書の完成後、3人(A・B・C)と保護者に報告すると、彼らは謝っていた(※何を謝罪していたのかと聞くと、新教頭は「〜(息子)君が不登校になって転校したことだと思う」と答えた。「思う」…直接話した当人がどうして憶測になるのか。本当に謝っていたのか)

【第三者・警察】いじめと疑われる行為はしてはいけないと3人(A・B・C)に注意をした。彼らは粛々と聞いていた。

------------------------

 

これはあくまでも彼らの見解をとても簡単にまとめたものですが、これだけでもはっきりとA・B・Cにいじめ犯罪の行為があったということです。これは学校や鴻巣市教育委員会がどれだけ否定、あるいは印象操作によって回避しようとしても、事実として存在すると言わざるを得ません。しかし、加害児童側の弁護士も、鴻巣市も、まるでいじめそのものが存在しなかったかのように私たちを封殺しようとして、「この事件はもう終わったことだ」と無視をし続けているのです。

 

13番の裁判にまで至る過程は、私にとって覚悟の選択でした。息子の転校後、タイミングを見計らったように鴻巣市教育委員会が一方的に通知したいじめ調査報告書(事前確認のない不正行為)は、私たち被害者側の聞き取り内容がほとんど反映されていない、明らかに学校と加害児童側に有利な都合の良い内容に捻じ曲げられていました。私が録音資料などエビデンスを提示しながら訂正をお願いしても、鴻巣市教育委員会や市長側は「完成して関係者に渡っているから」という理由で「報告書は直さない」「報告書は事実である」「再調査はない」と一蹴されました。

 

これまでも、鴻巣市教育委員会や中学校は、「弁護士を通じなければ対応をしない」「調査が出るまで何もしない」といった理由をつけ、息子の不登校を解決する行動を一切として取ってくれませんでした。転校後も担任が別の場所であった息子を無視したり、転入手続きの為に鴻巣市教育委員会へ出向いたら委員から警察を呼ばれたり、当時の校長が証言で嘘をつき続けたりと、あまりに不誠実で無責任な対応が続いているのです。

 

転校先の新しい学校で、息子が善良な先生と友達に囲まれて楽しく充実した学生生活を送れたことは本当に天からの贈り物であったと思っています。その一方で、私は息子を守るためにも、息子のような犠牲者を再び出さないためにも、鴻巣市教育会ら本事案を意図的に操作している関係者を、公的な場で訴えなければならないと覚悟しました。

 

最初に私が訴訟を行う対象としたのは、加害児童3名です。この時、私は教育支援をされているあるNPOの方などに相談をして回りました。弁護士についても改めて色々と探しました。探すことも時間的にも費用的にも大きな苦労が伴います。鴻巣市や埼玉県に関連にする弁護士は避けることにしました。彼らがどこでどう繋がっているか分からないからです。(第三者調査委員のひとりは鴻巣市に所在を置く人物です。)調査委員の作成した調査報告書や市の対応で学校の嘘、本当に人間不信になっていました。

 

こうして辿り着いたのが今の弁護士事務所です。この事務所を選ばせていただいたのは、息子に寄り添って丁寧に対応していただいたこと、そして裁判の仕組み、裁判とは何か 民事裁判、損害賠償請求、裁判の流れを詳しく説明してくださいました。(原告の息子、被告の加害児童3人を図解つきで示してくださいました)裁判はとても難しい手続きです。不安なこと、分からないこと、何かあったら何でも聞いてくださいと示してくださいました。

 

先述の通り、3人の加害児童らの見解は「もうこの事件は終わっている」「話し合う気は無い」の一点張りでした。Cは弁護士からの通知すらも受け取りを拒否するという状態でした。しかし、彼らは気づいていないかもしれません。この問題は彼らが考えている以上に深刻なものとなっており、もはや私と息子の口を封じるだけでは済まない規模の問題にまで発展しています。虚偽と捏造の記載と証言の数々、私と息子への悪意ある人格否定、調査書作成時における不正行為、その一つ一つが問題となっています。

 

新聞記事によって鴻巣市教育委員会の不正行為の数々が明らかになった時、ようやく私の訴えてきたことが正しかったと証明されました。それに対して、この案件を統括する市長は謝罪の言葉ひとつもなく、「今後はこのようなことがないようにします」の一言で済ませています。前の記事でも書きました通り、市長は本当にその一言を2回繰り返しただけなのです。具体的に何を改善するだとか、どのような処罰を行うだとか、そうした点にはなにひとつ触れておらず、また現在もそうした取り組みの影すらありません。

 

私は自分で費用を出して、時間と労力を掛けて、心身を削りながらこの戦いに臨んでいます。一方、市は公費で弁護士を雇い、揚げ足取りと印象操作と論点ずらしに終始して、いまだにまともにこの問題に取り組もうとしていません。彼らの非常に強力な忖度関係から外れている私がどれだけ訴えても、彼らにとっては痛くも痒くもないのかもしれません。あまりに理不尽で、許せません。

 

裁判を行う前に、弁護士の先生から息子に最終確認として「今あなたはいじめもなく学校に行くことができて日常をおくれているけれど、裁判をすると、嫌なことを思い出したり、聞かれたり大変なことだけれどそれでも裁判をしますか」と質問されました。息子は「裁判をやってから、忘れたい」とだけ言いました。それを聞いて弁護士の先生が了承し、この裁判が始まりを告げたのです。

 

息子は苦しい状況の中でも、精一杯、自分の言葉で陳述を行いました。ここにその陳述の内容を記させていただきます。

 

----------------------------------------

陳述書

甲第30号証

令和5年7月5日

 

<第1 はじめに>

僕は、この裁判の原告の◯◯◯◯(息子)です。現在、高校2年生です。

僕は、この裁判の被告になっている、Aくんから、鴻巣市◯◯小学校、鴻巣市◯◯中学校在学中に、同じく被告のCくん、Bくんからは、鴻巣市◯◯中学校に在学中に、繰り返したくさんのいじめを受けました。

この陳述書では、僕が受けたいじめの内容を陳述したいと思います。

僕はいじめを受けて大変つらい思いをし、不眠、頭痛、腹痛など体調も崩し、学校に登校することができなくなってしまいました。いじめがなくならない限り、学校にはいけず、結局、転校せざるをえなくなりました。そのことについても述します。

 

<第2 Aくんによるいじめ>

1 Aくんと僕の関係

僕は、平成25年(2013年)4月、鴻巣市◯◯小学校に入学し、平成30年(2018年)4月に、同校6年生に進級しました。Aくんは、同じ小学校で、6年生の時、同じクラスでした。

平成31年(2019年)4月、鴻巣市◯◯中学校入学した後も、同じクラスになりました。Aくんからは小学校の時から暴力や暴書などのいじめを受けていて、中学に入ってもそれは続きました。

 

2 小学校の時のAくんからのいじめ

(1)日常的な言葉によるいじめ(仲間に入れない、暴言等)

Aくんは、僕と同じクラスになった小学校6年生の1学期初め頃から、僕に対して、「死ね」「消えろ」「ザコ」「キモい」などと暴言を吐いて僕を会話に入らせないようにしてきました。

Aくんは僕に対して、直接、普通に声に出して、「死ね」「クズ」「ザコ」「バカ」「アホ」「カス」「キモイ」「気持ち悪い」などと暴言を吐いてきました。

休み時間や教室移動時に教室や廊下などで、直接、面と向かって言ってきました。Aくんが一人で言ってくることもあれば、何人かで言ってくることもありました。

僕は、このような暴言を最初は我慢しましたが、本当は、言われるのはすごく嫌だし、毎日のように言われてかなりつらかったので、「やめろ」などと何度か言いましたがAくんは止めませんでした。

 

(2)日常的な暴力

また、小学校6年生のとき、Aくんは、クラスの他の男子らと一緒に、ほぼ毎日、僕に対して暴力を振るいました。具体的には、背中、肩、お腹、腰、腕、すね、太もも、おしりのあたりなどを、こぶしで殴る、足で蹴る、押す、などしてきました。”オラー!”と言いながら暴力をしてくる時もありました。

Aくんに心臓のあたりをこぶしで強く殴られたこともあり、その時はとても痛くて苦しくて倒れてしまいました。

お腹を殴られた時にも倒れ込むほど痛かったです。

後ろからいきなり腰の上辺りを蹴られた時は、前に転んでしまいました。Aくんは、僕が倒れて痛がっている姿を見て、笑いながら「大丈夫?」と言ってきました。

「やめて欲しい」と言っても面白がって次の日もやられるので、苦しかったです。

胸の心臓あたりを殴られて倒れたり、お腹を殴られて倒れたり、足で蹴られて倒れたりした時は、痛くて苦しくて起き上がるのも大変でした。

 

(3)帰宅の邪魔をしたこと

さらに、Aくんは、僕が小学校6年生のころ、放課後帰宅しよう階段を下りて昇降口に向かおうとする僕を、階段でしつこく通せんぼをして、通さないこともしてきました。

僕が「帰りたい」とか、「やめて欲しい」と言うと、Aくんは、僕を殴ったり、蹴ったりしてきました。

 

(4)クラスメイトの女の子を殴るように命令してきたこと

加えて、Aくんは、僕が小学校6年生の頃に、僕に対して、クラスメイトのある女子を殴るように命令をしてきました。その女子はクラスの中でいじめられていた子でした。週2,3回くらいそのような命令をしてきて、僕はいつも拒否していました。

それでもAくんは僕に女子を殴らせようと毎回僕の背中を押したりしてきました。このようなことが卒業するまで続きました。

僕は、Aくんから命令されたり背中を押されたりしても、その場から逃げるなどして、その女子を殴ったことは一度もありません。

 

(5)道路に押し出したこと

そのほか、小学校6年のときにみんなで中学校の見学に行くことがあり、みんなで学校近くの細い道を歩いていました。

その時、僕のすぐ前を歩いていたAくんが突然笑いながら振り向いて、「おい」と言って僕の両肩を両手で後ろに押してきました。

歩いていた道は歩道と車道の段差がないような道でしたが、僕はAくんから押されたことで一瞬車道にはみ出てしまいました。

その時は何の前触れもなく急に押されたのでびっくりしたし、とても危ないし、車が来たら死んでいたと思いました。

 

(6)このような小学校でのいじめについては、僕は、週1,2回は担任の◯△先生に訴えていました。

先生は注意するときもありました。ところが、Aくんやその他の男子は先生の注意をきくどころか、その後余計にいじめがひどくなりました。しかし、先生はそれ以上にいじめをやめさせるような対応はしてくれませんでした。

僕は、これ以上いじめがひどくなるのも嫌だし、母に心配をかけたくないので、母には学校でのいじめについては、一切、話しませんでした。

 

<第3 中学校でのAくんからのいじめ>

中学校に入学したとき、中学1年は4クラスあったのですが、Aくんと同じクラスになりました。担任は1先生、サッカー部の顧問の先生で、僕も中学ではサッカー部に入部しました。

Aくんと同じクラスだと分かったときは、とても嫌な気持ちになりましたが中学では別の友達を作って、Aくんとは関わらないようにしようと思いました。

 

(1)日常的な暴言

しかし、中学校に入ってからも、4月当初からAくんは僕に対して、休み時間や放課後などに教室や廊下で、「死ね」「クズ」「ザコ」「バカ」「アホ」「カス」「キモイから死ね」「気持ち悪い」などと、直接言ってきました。「やめろ」と言ってもやめてくれません。

Aくんがこのような暴言を言うときには、周りに他の生徒たちもいましたが、みんなにも聞こえるように言われていました。

 

(2)日常的な暴力

また、中学校に入ってからも、毎日僕に対して暴力も振るいました。Aくんは、僕の背中、肩、お腹、腰、腕、すね、太もも、おしりのあたりなどを、こぶしで殴る、足で蹴る、押す、などしてきました。”オラー!”と言いながら暴力をしてくる時もありました。離れた位置からちょっと来いと呼ばれて、行ったら、いろんなところを殴られたり蹴られたりもしました。

お腹を強く殴られて、痛くてお腹を抱えて倒れこんでしまったことがありました。

また、すねを蹴られて、すねにあざができて、そのあざはなかなか消えませんでした。

 

(3)Aくんに対する僕の気持ち

このように、Aくんからは小学校のときから長い間いじめを受けてきて、本当に辛かったです。

僕としては毎回そのようなことをされるのが本当に嫌でした。今もどのような暴力を振るわれたかなど思い出すだけで痛くなってしまいます。

また、中学に入ってからAくんが、他の小学校から来て、僕のことを何も知らないBくんに、僕のことを「こいつすぐチクる」などと言っているのを廊下ですれ違ったときに聞こえました。

Aくんが、AくんやBくんに僕の悪口をいろいろ言って、それがきっかけでCくんやBくんも僕をいじめ始めたのではないかと思っています。小学校の時も僕が先生にいじめのことを言って、先生がAくん達を注意した後、さらにいじめがひどくなったことがあり、Aくんが自分の暴力・暴言を「チクった」と言ったことで、僕はもっとひどい仕打ちを受けると考えました。

 

<第3 Cくんによるいじめ>

1 Cくんと僕の関係

Cくんは、僕とは別の小学校から、◯◯中学校に進学してきて同じクラスになりました。

入学したばかりの4月には特にいじめはありませんでしたが、5月くらいからいじめが始まりました。

 

2 Cくんによるいじめ

(1)日常的な暴言

僕は、Cくんからも毎日、体育の授業中や休み時間、放課後などに「顔「面が汚い」「ブス」「クズ」「ゴミ」「お前みたいなクズはいない」「消えろ」「バカ」「キモイ」「死ね」「カス死ね」等と色々な暴言を吐かれました。

こういった暴言は、何かの会話の中で言われるのではなく、暴言だけをいくつか立て続けに言ってきて、本当に毎日嫌で嫌でたまりませんでした。

 

(2)ノートに卑猥な絵を描いたこと

また、Cくんは、中1の6,7月くらいのある日の休み時間に、僕が授業で使っているノートを貸してと言ってきたので僕はノートを貸しました。すると、Cくんは、元々僕が後で消せるように薄く鉛筆でキャラクターのイラストを描いていたところに、上から濃く変な絵を描いてきました。

Cくんは、調査委員の聴き取りで「A(僕)が付け足していいよというので髪の毛、影を付けたりした」と言ったようですが、僕はCくんに対して、自分が描いた絵に「何か付け足していいよ」などとは言っていません。Cくんが勝手に描いて返してきたのです。

僕は、とても気持ち悪くなり、家に帰ってからそのページを破って自宅の引き出しの奥に入れてしまいました。

 

(3)ジャージのハーフパンツを下げられたこと

また、中1の2学期になってから、一週間に3~5回、僕が体育着を着ているとき、Cくんが僕のジャージのズボン(ハーフパンツ)を下ろすということがありました。1日2回くらいやられることもあり、合計すると数十回くらいにはなると思います。

Cくんは僕の後ろから来て、僕はいきなりジャージのズボンの両脇を引っ張られて下ろされてしまいました。

Cくんは、「僕のズボンを下ろしたことはなく、僕のズボンが下がっていたので上げた」というふうに言っているようです。

調査委員会からの聴き取りのときに、Cくんは、先生が体操着をハーフパンツにいれていない生徒のハーフパンツをぎゅっと上げたことから「上げパン」が流行っていたと話したようです。

しかし、僕は「上げパン」をするようなグループには入っていませんでしたし、僕が誰かに「上げパン」をやったこともありません。そして、僕は、体操着をハーフパンツにいれていないこともなかったし、ジャージのズボンが下がった状態で履いていたこともありません。

Cくんからは「ズボンを上げられた」のではなく、「ズボンを下げられた」のです。

Cくんは、女子がいるところでも、僕のズボンを下げることがあり、毎回下着が見えるくらいまで下げられて、毎回とても嫌な思いをしていました。僕は、ズボンを下げられるたびに、毎回、Cくんに対して、「やめろよ」と言っていましたが、Cくんはやめてくれませんでした。

 

(4)Bくんから土下座させられたとき、一緒に声をあげて笑っていたことまた、僕はBくんから1学期の中間テスト前に、「テストの点数が低かった方が土下座な。」と一方的に命令され、断るとまたいじめられると思ったので、断ることができませんでした。

テストの後、Bくんが結果を聞いてきたので素直に答えたら、僕の方が結果が悪かったと一方的に言われて、「土下座しろ」と命令してきました。僕は「いやだ」と断ってその場から離れました。数日後に僕が学校の3階にある女子トイレの前を通りかかったとき、Bくんが「やれよ」と言ってきました。

その場にはCくんも一緒でした。Bくんに、何回か「やれよ」と強く言われ、嫌だとは言えず、僕が両手と両膝をついた状態になると、Bくんが両手で、僕の後頭部から首にかけてのあたりと背中を強い力で下に押さえつけ、20秒くらいの間、僕を土下座させました。

Cくんはこのとき僕の横、Bくんは僕の頭に近い場所に張り付いていて、周囲に人が集まっているところで土下座をさせられるのを見て、声をあげて笑っているのが聞こえました。

土下座をしている間には、トイレから出た女子の「何やっているの」との声も聞こえてきました。人だかりでトイレに入りたくても入れなかった子がいたと聞いて、BくんとCくんは周囲にも迷惑をかけていたことをわかっているのかと思いました。

僕はこのときとても恥ずかしくて、みじめな気持ちになりました。

 

3 Cくんに対する僕の気持ち

このように、Cくんからは中学校入学後の5月頃から毎日様々ないじめを受けてきてとても辛かったです。

僕としては毎回Cくんから暴言等をされるのが本当に嫌でした、女子の前

でズボンを下げられたり、女子トイレの前で土下座させられたとき一緒に笑われたり、思い出すだけでも、本当に悔しくて苦しい気持ちです。

 

<第4 Bくんによるいじめ>

1 Bくんと僕の関係

Bくんは、僕とは別の小学校から、◯◯中学校に進学してきて同じクラスになりました。

入学したばかりの4月には特にいじめはありませんでしたが、5月くらいからいじめが始まりました。

 

2 Bくんによるいじめ

(1)日常的な暴言

僕は、Bくんからも毎日、体育の授業中や休み時間、放課後などに「顔「面が汚い」「ブス」「バカ」「アホ」「キモイから死ね」「カス死ね」「社会のゴミ」等と色々な暴言を吐かれました。

こういった暴言は、何かの会話の中で言われるのではなく、暴言だけをいくつか、立て続けに言われていました。

 

(2)日常的な暴力

Bくんから暴言を吐かれたときに、僕が何か言うと、Bくんは週3回くらいの頻度で、僕の脛を蹴ってきました。

 

(3)土下座をさせたこと

Cくんからのいじめのところでも述べましたが、Bくんからは無理やり土下座をさせられたことがあります。

僕はBくんから1学期の中間テスト前に「テストの点数が低かった方が「土下座な。」一方的に命令され、断るとまたいじめられると思ったので、断ることができませんでした。

テストの後、Bくんが結果を聞いてきたので素直に答えたら、僕の方が結果が悪かったと一方的に言ってきて「土下座しろ」と命令してきました。そう言われて僕は「いやだ」と断ってその場から離れました。数日後に僕が学校の3階にある女子トイレの前を通りかかったとき、Bくんが「やれよ」と言ってきました。

Bくん一人ではなくて、Cくんなども一緒なので、逃げることもできません。Bくんに、何回か「やれよ」と強く言われ、嫌だとは言えず、僕が両手と両膝をついた状態になると、Bくんが両手で、僕の後頭部から首にかけてのあたりと背中を強い力で下に押さえつけ、20秒くらいの間、僕を土下座させました。Cくんの笑い声も聞こえましたが、僕の頭の後ろではBくんが声をあげて笑っていました。

土下座をしている間には、トイレから出た女子の「何やっているの」との声も聞こえてきました。

僕はこのときとても恥ずかしくて、みじめな気持ちになりました。

 

(4)音楽の授業中に、理由がないにもかかわらず突然背中をたたいてきたこと

中1だった令和元年9月頃、音楽の授業中に、突然、後ろから背中を思い切り強い力で叩かれたので、叩かれた瞬間振り向いたらBくんが手を引っ込めるのが見えました。叩いたのはBくんです。

Bくんは、Pくん(別の同級生)が僕を後ろから叩いたのに、僕がBくんに叩かれたと勘違いして、Bくんを叩いたり、僕が先に「死ね。ゴミくず。」と言ったと言っていますが、それは違います。

このことがあった日の音楽の授業は合唱の授業で、立って授業を聴いていました。僕の右斜め後ろがBくんで、Bくんの左側にPくんがいました。

叩かれた瞬間振り向いたらBくんが手を引っ込めるのが見えたので、僕はBくんが叩いたとわかったのです。Pくんではありません。

 

(5)体育の授業中にわざとぶつかってきたこと

9月の体育の授業でハードル走をしたことがありました。そのとき、生徒は名前五十音順で、順番にコースに並んでいるハードルを跳んでゴールするということをしていました。

僕が自分の番でコースのハードルを跳んで走り終えた後、スタート地点へ戻っていたら、僕の後に走っていたBくんがハードルとハードルの間のところでコースを外れて、走りながら僕に近づいてきて、急に右肩を僕にぶつけてきたのです。

Bくんが走り終えた後、僕がBくんに「なんでぶつかってくるんだよ」と言ったところ、Bくんから「お前がぶつかってきたんだろう。」などとウソを言われました。

僕は走り終えてスタート地点に戻る途中でぶつかられたのであって、Bくんはコース内でハードルを跳んでいる最中だったのですから、わざわざコースを外れてぶつかってきたのはBくんです。僕が「そっちだろ。」と

言ったのですが、Bくんは聞きませんでした。

 

3 Bくんに対する僕の気持ち

Bくんからは、中学校入学後の5月頃から毎日様々ないじめを受けてきてとても辛かったです。

僕としては、毎日のようにBくんから暴言等をされて、毎回、本当に嫌でした。さらに、女子トイレの前で土下座状態で、後頭部や背中を力づくで押さえ込まれたり、授業中に力いっぱい叩かれたり、体育の際にぶつかられるなどの暴力を受けて、学校に行くことがとても辛くて苦痛でした。

 

<第5サッカー部のユニフォームを一人だけもらえず、疎外感を感じたこと>

3人からのいじめとは少し話がかわりますが、僕は中学校に入学してサッカ一部に入部しました。サッカー部の顧問は担任の1先生です。

サッカー部では、練習の時に着る練習着を自分で買い、試合時のユニフォームは貸してもらえることになっていました。

しかし、練習着の申込書を僕はもらっていなかったので申し込みができておらず、みんなは6月頃に届いた練習着を着て練習をしている中、僕だけ体操着で練習に参加していました。

僕はキーパーだったので◯色のユニフォームをもらえるはずでしたが、ユニフォームが配られたとき、サッカー部の顧問で担任の1先生は、自分には渡してくれませんでした。段ボールの中には◯色のユニフォームも入っていたのに、渡してもらえませんでした。

先生は、「休んでいたから申込書を渡せなかった」と言っていました。

しかし、僕はほとんど休んでいませんし、サッカー部の練習に参加したときにも申込書を渡されることもなく、また、僕だけが申込書を提出していないと注意されることもありませんでした。

9月はじめ、僕の母が、Cくんのいじめを◯校長先生、◯◯先生、1先生に相談した際、ユニフォームのことも先生方に伝えたところ、ようやく申込書を渡されましたが、申込の期限は7月末でした。1先生は、ユニフォームの数が1枚足りなくて僕に渡せなかったと、母に言ったようですが、箱の底にキーパーのユニフォームがあったことを僕は見ています。

このように僕だけ体操着なので目立って、「なんでお前だけユニフォームが「ないんだよ。」と部活の仲間から言われたことがあり、とても嫌な気持ちになりました。

また、人数が少なく他の中学校と合同チームを組んでいることから一緒に練習することがあるのですが、その時に合同チームの顧問だった他の学校の△△先生からも「ユニフォームをくださいと言いなさい」と言われたこともありました。

また、その△△先生から僕の学校の顧問の1先生に「ユニフォームを僕に渡すように」と頼んでくれたこともありましたが、それでももらえませんでした。

なんで自分だけ着れないんだと泣きながら帰宅したこともあるほど、僕だけちゃんとした対応をしてもらえなかったことで悔しい思いをしていました。結局、ユニフォームは、僕が学校に行けなくなった少し前に1先生からもらったので、もちろん1度も着ることもなかったのです。

 

<第6学校に行けなくなってしまったことについて>

このように、僕は被告のAくん、Bくん、Cくんの3人からのいじめ行為により、ずっと精神的に辛い思いをしていました。

担任の1先生は、僕が悪口を言われているのをわかっていたと思いますが、注意をしてくれたりはしませんでした。

1学期は頑張って学校に行っていましたが、2学期の始業式の8月29日の朝、学校に行きたくないと思い、母に「頭が痛いから学校を休む」と言いました。そうしたら、母が学校に行くように言ったので僕は「行きたくない」と答えました。そして、理由をきかれたので、「Cくんからいじめられているから学校に行けない」ということを話しました。

母にいじめについて話したのはこの時が初めてです。

母は驚いて、学校に電話をしてくれて、その日は休みました。

母は学校にいじめのことも話したので、僕はCくんからチクったと言われるのではないかと心配していました。

9月はじめに、母は学校に行き、◯校長先生、◯◯先生、1先生との話し合いを行い、Cくんからのいじめのことを話してくれました。

◯校長先生からは僕が言ったということがわからないようにどうにかするというふうに言われたということでしたので、いじめられなくなるのではないかと期待して僕は翌日から学校に行きました。

しかし、3人からのいじめは全く変わらず続きました。

10月1日、僕はもう我慢できなくなり、また母に朝「学校に行きたくない」と伝えました。

母から理由を聞かれたので、CくんだけでなくAくんやBくんからもいじめられていることを話しました。「毎日殴られたり蹴られたりしてもう限界だ」ということも言いました。

そして、母が学校にまた話をしてくれました。

僕は、部活や行事には参加したいと思っていましたし、休むと勉強が遅れるので、「学校へは行きたい」と言っていましたが、「3人と同じ教室で授業を受けたり生活をすることはできない」と思っていました。

母は、◯校長先生、◯◯教頭先生、1先生に「クラスを変えてもらえれば行ける」と言いました。でも変えてもらうことができませんでした。そのため、僕はやはり学校には行くことができませんでした。

学校を休んでいる間、学校で勉強をすることができず、勉強が遅れてしまうので、中学1年の10月から3学期が終了する3月31日まで、それまで行ってなかった塾に行って勉強をしなければいけませんでした。

学校に行くこともできずあまりよく眠れなくなったので、メンタルクリニックにも通いました。

3学期の始業式前日になっても始業式の日から登校できるようにクラス替えをしてくれるのかわからなかったので、母に学校から連絡が来たかを聞きました。

まだ来ていなかったので、母が教育委員会に電話をして学校から母に連絡をしてもらうよう伝えてほしいと言ってくれました。しかし、学校から電話はかかってきませんでした。まだクラス替えはされていないことだと思ったので、僕は始業式の日にも学校に行けませんでした。

始業式の日(1月8日)、僕は母と一緒に教育委員会に行きました。

母が「どうすればいいんですか。」と聞くと、教育委員会のEさんは「早急にやります。」と言ったので、母が「早急とはいつですか。」と聞くと「わからない」と答えました。

僕はきちんとした答えが出ず、もう信用できないと思いました。

その場で僕は「クラスを替えてもらえば行ける。」と言うと教育委員会の人が「3人が?」と聞くので「自分が」と答えました。

自分が替わるということを言ったのは初めてでしたが、それを聞いた教育委員会のEさんともう一人の人が前のめりになって「あなたがクラスを替わるの?」と言ってきて、僕にはその様子が、ようやくめんどくさいことが終わるという嬉しそうな感じに見えました。

担任の1先生からは1月8日教育委員会にいる時に電話が来て母が学校に行くのにはどうすれば良いか聞くと、今第三者委員会でやっている、学校の手から離れてしまっている、第三者委員会の結果が出るまでは3人をクラスから出すことはないと言われました。また、担任に分かってもらいたくて、成績に関わる提出ワークに僕は、「いじめっ子のいないクラスに戻りたいです」と書いて付箋を付けましたが、何も返事がありませんでした。

◯◯教頭先生は僕が3人のクラス替えを希望するなら、いつまで経っても戻って来られないと言いました。

◯校長には、電話で「僕は体育祭の時にもいじめられていました」とはっきりと伝えましたが、そのすぐ後に、◯校長先生が「〜くんは体育祭の時も楽しかったんです、いじめはありません」と、僕とまったく反対のことを言われました。本当に驚いて、訳が分からなくなりました。

また、1月末に行われることになっていたスキー教室にも参加したいと思っていましたが、3人と同じクラスのままスキー教室に行くことは、またいじめられるかもしれず、とてもできないと思っていたので、母からも引き続き「クラス替えをしてほしい」と学校に言ってもらっていました。

スキー教室前、教育委員会のFさんが母に、「(僕の)クラスを1組にする」と言われたので、クラスをかえてもらってスキー教室に行けると思ったのですが、スキー教室の何日か前に◯◯先生から「クラス替えはしない、3人と同じクラスでそのままで行きます」ということを言われました。

僕は教育委員会からもうそをつかれました。

「3人とは別のクラスで、楽しみにしていたスキー教室に行くことができる」と思っていたのに、結局行けず、とても残念でした。

3人は僕をいじめているのにスキー教室に行って思い出を作れるのに、僕はいじめられているのに思い出が作れないのも悔しいと思いました。

その後も教育委員会と学校は僕が学校に行けるように対応をしてくれなかったので、僕は段々◯◯中学校に戻れないことが分かってきて、学校に行く為には転校するしかないと思いました。

 

令和2年3月26日、調査委員会の調査報告書が出来上がって、教育委員会と学校がAくん、Cくん、Bくんに内容を報告しました。教育委員会のTさんは3人に「このことは経験として、これから学校生活を頑張って行くように」と彼らに伝えたとききました。その時、彼らは自分の高校に向けた内申のことを気にしていたそうです。

僕は3学期も学校に行けず、高校受験が出来るのか、高校に行けるのか、毎日が不安で恐ろしかったです。

 

令和2年4月、中2の時、鴻巣市◯◯中学校から、他の中学校に転校しました。

僕の転校のために、母は、引っ越しもしてくれました。

転校先の中学校でも、◯◯中学校の時と同じサッカー部に入部しましたが、新一年生と一緒に4月から練習着もユニフォームをもらうことができ、とても嬉しかったです。いじめもなく、友達もできて、休むことなく毎日通学できました。

今でも、いじめられた時の恐怖や悔しさが突然こみあげてきて、苦しくなる時がありますが、友人たちや先生方、家族に支えられて、高校にも進学できました。高校でも今まで1日も休まず学校に行っています。

しかし、被告の3人から繰り返しいじめを受けたことによって、一時は、数カ月も学校にも行けなくなり別の中学校に転校することにもなってしまい、本当に辛く大変な思いをしたことを被告らにもわかってもらいたいと思います。

転校をした後も、母は◯◯中学校に行って先生達に色々話を聴いたりしてくれていました。

◯◯教頭先生の後に赴任してきた□□教頭先生とも色々話をしていたようで、令和3年9月頃には僕が3人に対して訴訟をしようと考えているということも話したようでした。

そういった話をしている中で、□□教頭先生から高校に関して話があると言われ、母が◯◯中学校に行くと、ある高校に話を聞きに行くことを勧められたということでした。そこで、令和3年10月1日、僕と母は夜に勧められた高校へ行きました。到着して部屋に案内されると、その高校の先生達がいて笑っていました。何か変だなと思いました。

少し話した後に、僕たちは紙を貰いました。確約の紙だと言われました。確約というのはその高校を受験すれば合格をもらえるというものです。僕はその前に別の高校に話を聞きに行ったら欠席日数が多かったことが原因で確約を断られていたので、高校に行けないかもしれないと思っていたので、確約をもらったときは、僕でも高校に行けるのかと思いました。

後日母が、□□教頭に確約をもらったことを話したところ、□□教頭は「これから3人から謝らせるから、3人への訴訟をやめないか」と持ちかけて来たということを母から聞きました。

僕は、確約をもらって高校に行けると思っていましたが、どうしても3人を許すことができないので、その確約と引き換えに3人への訴訟をやめるということはできないと思い、こんな取引も許せないと思って断りました。

 

<第7 いじめの調査について>

僕はもう母以外の誰を信じて良いのか分からなくなって、何とも言えない虚しさや苦しさを感じましたが、それならもっと勉強を頑張って、自分の行きたい高校に行く為にたくさん努力しようと思いました。

12月にあったいじめの調査委員からの聴き取りのとき、最後に言いたいことはないかと聞かれたので、僕は「どうしたら学校に行けますか。」と聞きました。

委員の人が、「行きたいのか?じゃあ行っちゃえば。」と言うので「3人とクラスが変わったら行ける。」と言いました。そうしたら、委員の人が「来年別のクラスになったら行ける。」と言ってきました。

僕は、12月の時にも、すぐにクラスを別にしてもらって学校に行きたいと思って「今も別のクラスがいい。」と答えました。「クラスが替われば行けるの?」と聞かれたので「はい」と答えると、「あなたがクラスを替わるのはどうか」と言われました。でも自分は替わらず3人を替えてほしいということを言いました。僕は、3人がクラスにいなければ学校に行けるという意味で言ったのに、あまり委員の人はわかってくれていないようでした。

委員の人は、僕に「クラスが替わっても学校で会うかもしれないよね?」「そんなことしたら益々暴力されるかもしれない。」「チクるよりもっとひどい仕打ちを受けるかもしれない。」とも言ってきました。

こういうことを言われて、僕は益々怖くなって転校したいと思うようになりました。

最近、僕は埼玉県でいじめに関するアンケート調査を受けました。その最初の質問は『学校が、いじめや暴力、差別などがなく、安心して通える場所として、より良くなるためには、どうしたらいいと思いますか?』というものでした。僕はこの質問について、次のように答えたいと思っています。

「学校や教育委員会が、自分たちの立場を守るためにいじめ被害者をいじめることをやめることです。いじめが起きたら、事実をきちんと調査し、加害者を罰して、指導して、被害者を保護することです。いじめの問題に対して、被害者に嘘をついたり問題を避けたりせず、真剣に取り組んで、教育者としての責任や社会人としての責任を果たして、できるだけ早く被害者の苦しみを取りのぞいてあげるように行動することです。」

これらは当たり前のことだと思いますし、憲法や法律だって、そういう教育の権利を守るようにしっかりと書かれていると思います。でも、僕と母は、学校や教育委員会からそういう「被害者を守る、加害者を指導する、いじめと向き合う」という対応を受けられませんでした。学校や教育委員会がこのままでは、僕のようにいじめられている子供たちが減らないと思い、僕はこれを伝えたいと考えるようになりました。

 

<第8 最後に>

僕は、Aくんからは小学校のときから中学校に入ってからも、Cくん、Bくんからは中学校でいじめを受け続け、学校にも行けなくなり、転校せざるを得なくなってしまいました。

そもそもなんでいじめられなければならないのか、わかりませんでした。それなのに、3人は自分がやったこともやっていないと言っていたり、反省もしていない様子で、とても腹立たしく思っています。

転校してからもいまだに3人からいじめられたことを思い出して忘れることができず、僕は、3人のことは絶対に許せません。

時間を返してほしいと思っています。

裁判も長く続いているので、早く3人が僕にしたことを認めてもらって、責任をとってもらいたいと思います。

 

※陳述書内の「埼玉県教育委員会によるアンケートの質問」については、そのまま息子が電話で埼玉県教育委員会に伝えています。メールだと一方通行になるからです。私も横でスピーカーにして聴いていましたが、県教委は「ありがとうございます」のみで電話を切っています。その後のフィードバックなどは一切なく、形だけのアンケートを行なっています。

----------------------------------------

 

裁判では2021年10月から2024年1月まで、計10回に及ぶ準備書面のやり取りが行われ、2024年1月に証人尋問が行われました。原告側は私と息子、被告側は中学校校長、鴻巣市教育委員会F氏、加害生徒3名が尋問の対象となります。加害児童3名とその保護者らは全ての準備書面において自らのいじめ行為を全面的に否定していましたが、もっとも重要な意味を持つこの証人尋問には姿を現しませんでした。

 

裁判の結果がどうなるかは、私たちには分かりません。息子のため、そして願わくば、今もいじめで傷ついている子どもや保護者の方が今後私たちのように二次被害に遭わないよう、残りの裁判を進めていきたいと思います。

 

(次回へ続く)