水平線に手が届く

鴻巣市のいじめ事件記録【誰かが被害を繰り返さない為に】

【鴻巣市いじめ事件の記録No.1】

2019年6月のこと。中学生の息子はサッカー部に所属していました。小学校5年生からサッカーを始め、小学校の卒業の時に「中学に入ったら部活を頑張りたい」と言っていて、その通りにサッカー部で頑張り始めていました。しかし、他校との試合前に学校提供のユニフォームが配られたのですが、息子のみ配られませんでした。

 

それ以降も体育着のままでいたので、他部員より「何故1人だけ体育着なのか」と言われて、息子は酷く落ち込んでいました。泣きながら帰ってきた事がありました。小学校の時から考えても、息子が泣く姿を初めて見たので驚きました。担任兼サッカー部顧問に聞いて欲しいとお願いされました。

 

顧問に聞きますと、「レギュラーからベンチの順で配ったが 1 枚足りなかったから」という 答えが返ってきました。しかし、その後も本人のみ体育着で、練習着の申込書ももらえない 状態が2か月間も続きました。息子以外のメンバーは、試合時はユニフォーム、練習着も着ている状態でした。

 

そして、2019年8月末、夏休みが終わって始業式の当日の朝、息子が私に「いじめ」を初めて打ち明けました。

 

最初、息子は頭が痛いから学校を休みたいと私に言いました。しかし熱もなく、前日の体調不良もなかったので、始業式ですぐ帰れるからいってらっしゃいと言いました。それでも息子が学校を休みたいと言いました。

 

夏休みは部活に休まず行っていたのに、どうしたのと聞くと、実はCからいじめられているから学校に行きたくないと言いました。私が明確に息子から「いじめ」という言葉を聞いたのは、これが初めてでした。

 

息子がいじめられていると言った時、どこに相談するべきなのか、学校なのか、専門機関なのか、判断に悩みました。息子は「チクった」と言われて、加害児童から余計にいじめられてしまうのではないかと気にしていたので、学校に言ってバレてはいけないのか、どうすれば良いのか、とても悩みました。

 

それでも私はすぐに学校に欠席の連絡を入れました。私は電話に出た教頭先生に、「C君からいじめられているから学校に行けないと言っているので、休みます」とだけ伝えました。

 

また、私は教育支援センター(※)にも相談の連絡を入れました。ここではいじめられていることと、部活でユニフォームがないこと、練習着がもらえないこと、そうした個別の事情に関する相談をしました。これらは当時の私の気持ちとして、学校に直接言うと多忙な業務を妨げてしまう自分勝手な行為になってしまうのではないかと考えたからです。

 

(※鴻巣市教育支援センター「LET’S」:幼児・児童生徒・保護者・教員等を対象とした電話、面接、巡回による各種相談を受け付けている行政機関。その他、いじめ、子育て、不登校発達障害、就業等の相談も受け付けている。参考リンク:https://www.city.kounosu.saitama.jp/site/konosu-education/list198-619.html

 

その後、教育支援センターから学校に連絡していただいたようで、学校で話をしましょうということなりました。

 

こうして、2019年9月初旬、私は学校に相談しに直接足を運びました。その際、面談の場に在席したのは、校長、担任兼顧問、学年主任の3名でした。息子はチクったと言われて余計にいじめられることをとても気にしていました。校長はそれを聞いて、「1学期もいじめがあり解決した。4クラス、4つの目がある。いじめに関して~君(息子)が言った分からないようにC君に注意をする」という対応の"約束"をしました。私は安堵し、それならば安心して学校に息子を行かせられると思いました。

 

担任兼顧問もこの場に同席していたので、いじめの件に加え、顧問にも関連するユニフォームの件も相談すると、担任は「1枚足りなかった」と言いました。校長からは「もう1人ユニフォームを着られない子がいれば良かった」という発言を受けました。私はその言葉に違和感を覚えて、すかさず「他の子を巻き添えにしたくありません」と答えました。この会話の最後に、学年主任から「1枚足りなかったではなく、初めから数を揃えておくべきでした」という、一定の謝罪の意を込めた発言を受けました。

 

この翌日、登校を再開した息子はすぐにユニフォームを受け取りました。しかし、このユニフォームには着古した形跡がありました。もともとあった在庫を急いで引っ張り出したといった印象を受けました。「本当に最初から枚数が足りなかったの?」と、とても疑問に感じました。

 

そもそも、息子が所属する部活はレギュラー争いなどもなく、1年生、2年生合わせても10人程度の少数編成なのです。そのような中で、2カ月に及んで、息子1人だけが体育着でいたのです。体操着でいる息子はずっとからかわれていたと言います。このユニフォームの件は、顧問(兼担任)のずさんな管理体制もそうですし、そもそも練習着の申込書をくれなかったことなども考えますと、腑に落ちないことばかりでした。

 

顧問の対応が意図的であったか、ただ忙しかったのかは不明です。しかし今になってみると、顧問がユニフォームの件を通じて息子へのいじめを助長したと言っても過言ではないと私は考えています。

 

少し振り返ると、小学校の卒業は私たちにとって希望のあるものでした。孫の卒業式に是非参加したいと神奈川から祖父母も来てくれました。式後には予約していたイタリアンの店でお祝いをしてくれました。美味しい料理やろうそくがたくさん立ったケーキに喜んでいました。祖父母は中学校の制服の採寸にも来てくれて、進学祝いにプレゼントしてくれました。

 

しかし、その明るい希望が壊されてしまいました。

 

(次回へ続く)